2017年6月11日日曜日

祖母と受験と認知症

祖父はよく動いたが、私が中学校に入学したあたりから、すこしずつ奇行が出だした。貴公子である。高校に入ったあたりでは、すでに私がどこの高校に入ったのかわからない有り様だった。別にお祝いをもらおうとかいう気はなかったのでどうでもいいのだが。父親と同じ高校なので知らないわけはないのだが、知らなかった。

当時は認知症という言葉もなければ、今では言わなくなった痴呆症という言葉さえない時代である。ただの老人ボケとされたが、現在のような介護施設などは当然なく、病院へ入れるのが普通だった。しかし祖母は世間体を気にして入院を拒否したので、結局家で看病することとなった。しかも、嫁が看病するものだと言い出した。結局、母と私とで介護することとなった。私はバスケット部にいたので帰りが遅くなると、祖父は夕食を食べようと私の元へ来るのであった。

祖母はあまり動かない人だった。向こうの部屋から祖父を呼ぶのだが、決してこちらに足を運ぶことはなかった。

あるときは、高校へ電話をかけてきて、「じいさんが警察に保護されたので引き取りに行って欲しい」と言われた。仕方がないのでクラブをさぼって、学校の帰りに警察で祖父を引き取り、簡単な尋問をされた後、タクシーで家まで連れて帰った。こんなことは何回もあった。警察にはしっかりとマークされる結果となった。当然、担当警察官と顔見知りとなった。という訳で、3回か4回目以降は直接パトカーで家まで送ってくれるようになった。

祖母はあまり動かない人だった。何かあると向うの部屋から口先で祖父を叱るのであった。ひとりで出歩かないように言うのだが、どうすればいいの?父と母は仕事、弟は最初から知らん顔を決め込み、私は高校。あなたが見ていて下さいよと言いたかったが。

祖父の介護で一番辛いのは下の世話である。食事の介護なんか何ということはない。あるとき私が2階の自室で勉強していたら(受験勉強なのです)、下から祖母が呼んでいるので降りて行った。祖父が和室でウン〇をしてそれを畳にこすりつけていた。臭いから始末しろと言う。服を脱がせてお尻を拭き、着替えさせて別の部屋に行ってもらった。それから畳を水拭きしたが、祖母があっちも拭いてとかこっちも拭いてとか言うのには閉口した。
本当に祖母はあまり動かない人だった。

祖父が死んだとき、祖母は自宅で葬式をやりたいと言った。勘弁してくれ、入試まで二週間もないんだぞと思ったが、結局自宅で葬式をした。何もしなくていいと言われても、挨拶ぐらいは必要だし、料理が遅れていると言われて結局料理までさせられ、勉強時間なんてあるわけがなかった。動きたくないだけで受験生に勉強をさせないのはどういうわけじゃ。

祖父の遺骨を墓に納骨しようということになった。受験の3日ほど前だったと思う。従弟の兄ちゃんと坊さんと私の3人で納骨した。雪の降る2月の寒い日のことであった。まあ、行きたくないのは分かるんですけど、お前が最後まで見てやれというのは、ひどいんじゃないか。

風邪をひいたらしく、翌日から熱が出た。東京の大学を受けたの時は、熱が下がらないまま受験ということになった。この時考えていたのは、来年は医学部を受けようということだった。しかし、大学は合格して、理学科に入学した。自分を褒めたいと思います。

今の介護システムがうらやましい。


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